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疎外アニメ ネタバレ

2007/05/29 by 未登録ユーザ ika

疎外。という言葉、最近、あまりはやりませんが、押井さんの作品にぴったりなので、使ってみました。

ここと、イノセンスに書いておられるみなさんの発言が面白く……しかし、もうすでに古代のメモリアルと化している数々の名スレッド!にくっつけて書くのもいまさらどうかな?と思われますので、新たに立てさせていただきました。(今までのスレッド、全部は読んでいませんが……でもやっぱりダントツに読みが深いなと思わせられますのは、素子様命さんの書かれた文章……さすがにハンドルネームはダテじゃありませんね。いろいろ勉強になりました)

私は、この2作の深遠な?ファンではありませんが、自分が抱いている問題との関連が近いところを突いているので、その点、興味があります。

問題とは……
「自分は、なぜ自分の中にいるのか?」
とまあ、こんなようなことなんですが……

自分が自分の中にいる……ということを強く意識しはじめたのは、小学校の低学年くらいのことじゃなかったかと思います。といっても、素朴な?子供のことですから、この問いは、「なぜ、自分は○○さんじゃなくて自分なの?」といったようなものでした。

もう少しひねて、中学生くらいになりますと、今度は少し問いが変化して、「透明人間の食べたものはどこから透明になるの?」とか、「透明人間の出すものはどこから不透明になるの?」という疑問になりました。……これはまあ、普遍的な問いに直せば、「自分の限界はどこなの?」ということなのでしょう。

大きくなって、いろんな本を読むようになりますと、この問題についてのいろんな考え方に遭遇しました。その中で、やっぱり一番印象に残ったのは、ヘーゲルの使う「疎外」という言葉だったと思います。

ヘーゲルの「疎外」は、「エントフレムドゥング」、すなわち、なんらかのお仲間状態から外へはじき出されている状態(異化状態)じゃないかと思うのですが……これが、なんか、上記の疑問に一番しっくりとくる言葉じゃないかな……と思います。

素子さん……疎外されてますね。
押井アニメの素子さんの方です。原作マンガの素子さんは、素子様命さんが何度もおっしゃるように、「疎外」感とはほぼ無縁の存在ですが……

素子さんだけじゃなくて、押井さんのキャラは、みな、なんらかの状態で「疎外」を抱え込んでいるように思う。

でも、ヘーゲルの「疎外」は、「外へ出される」ことによって次の段階に発展するための第一歩を踏み出す……というような積極的な意味があると思うのですが……押井さんの「疎外」には、ほとんど「救い」というものがない。永遠に疎外され続ける道しか残されていない……その意味では、実に悲観的かつ絶望的な人物たちではあります。

こういう、悲観的かつ絶望的に疎外され続ける運命のキャラクタは、もしかしたら日本のアニメやマンガに特有のものかもしれず……そういうところが、外国においては実に新鮮に映るのかもしれません。

疎外を終了させようとして用いられる意志のかたちが「ダイヴ」ですからね。西洋のように上昇志向で疎外を終わらせようとするのではなく、どこまでも沈潜していくことによって……それはむしろ自己消滅を遂げることによって「疎外」状態を終了させる……というのは、これは、西洋式の思考ではちょっとありえないことじゃないでしょうか。(ネットの海にダイヴ……なんか悲しい。寒い終わり方だ……)

という私も、充分疎外されちゃってるのかもしれません……
(祝詞で再生される必要があるかも)

 

  • 最後に残る叫び ネタバレ

    2007/05/30 by 未登録ユーザika

    私は、一つの作品において登場するいろいろなシーンは、あんまり等価じゃない……と思います。

    というのは、どういう意味かというと……ストーリーを語らせるための部分や、本質的に重要な部分や、いままでの行きがかり上そうなっちゃったけれど実はあまり意味のない部分や……そういういろいろな部分がないまぜになって、一本の作品ができあがっていると思うのです。

    ですから、映画をみて、それについて批評とはいわないまでも、なんらかの感想をしゃべる場合でも、この等価でない各部分の分析ができていないと、相当的はずれなことにもなりかねない……と思います。

    この「攻殻機動隊」なる作品においてもやっぱりそれはあると思う。

    この作品は、相当緻密にできあがっているので、はじめて見ると、すべての部分がほぼ等しく本質につながる意味を担わされているように感じるけれども……分析をしていくと、どうもそうでもないらしい……と思わせられます。

    やっぱり、アクションシーンとか、世界を説明するためのシーンとか、監督さんの思い入れがものすごく入ったシーンとか、なりゆきのつなぎのように感じるシーンとか……けっこうムラがあるように思いました。

    私が、監督さんの思い入れをこれでもか……と感じたのは、やっぱり、飛行機の大きな影が運河に沿った街を覆って、街の姿が克明に描写されていくシーン……でしょうか。
    ラストの戦闘シーンで、生物の進化系統樹を懇切丁寧に銃弾がなめていくシーン……ここにも、監督さんの、なんか「自分の頭をもてあましているような」変な思い入れを感じます。

    ところが……素子さんが海の底にダイヴしていくシーンなんかは、一見意味がたっぷり含まれた重たいスイーツのような感触があるけれど、ここはやっぱりなんらかの概念説明的なシーンで、監督さんの「思い入れ」のようなものはさほど感じないのです。

    そして、一番最後の「ネットの海」のシーン。
    ここは、作中最も寒いシーンのように、私は感じました。
    リアリティが感じられない……というのでしょうか。
    作品構成上、このシーンは絶対必要不可欠なのだけれど……
    内実というものが、まったくといっていいほど感じられないのですね。

    要するに、ここに関しては、監督さん自身が、自分でつくっているシーンの意味をほとんどわかっていないし、あんまりわかろうともしていない……そんなふうに感じられました。
    押井さんが、 攻殻機動隊2をつくるのを最初嫌がった……というのは、1のラストシーンの意味が、自分の中で腑に落ちるかたちでわかっている……という状態ではなかったからじゃないでしょうか……

    だから、 攻殻機動隊2である「イノセンス」においては、ネット内住人となってしまった素子さんの存在のあり方が、どうにも不確定……と申しますか、なんら実体やリアリティを感じず、どうにでも解釈できるいいかげんなかすみのような感覚でしかとらえられないのではないか……と思うのです。

    万能になっちゃった……というふうにも理解できるし、やっぱりなんらかの限定を負った存在……としても理解できる……こういうふうに拡散しきった幅で、あとは見る人の解釈にゆだねます……となっちゃうのは、やっぱりその本質部分を監督さん自身がわからなかった……ということなのでしょう(さらにいえば、興味がなかった……ということ)。

    だいたい、この押井さんという方は、小難しい引用句なんかで知的ケレン味たっぷりの押し出しを見せられるけれども、本来は知性派じゃなくて、極度の感覚派なんじゃないか……と思います。
    そして、その点が、この方の本来の魅力なんだと思う。
    実際に、身体に感じるもの……感じられるもの……
    頭は必ず判断停止状態にしておいて、内実として確かに感じるものをつかまえて、少しずつ対話をしてみる……といった作品の作り方を感じます。
    小難しい引用句なんかは、脳の勝手な活動を抑制する、いわば制御棒として用いられている……と、そんなふうに感じますね(見る人に対しては、一種の目くらまし……相撲の張り手のようなもの?)。

    だいたい「ネットの海」といわれても、そんなものは、だれにも実体的に理解できないし……考えることも、感じることさえ不可能です。
    ですから……そのあたりは、押井さんにとっては、ストーリーを出していくための記号にすぎない。
    それが……ラストシーンにきちゃったのが、この作品にとってはちょっと致命的な不幸であるし……救われないなーと感じてしまうゆえん……じゃないでしょうか。

    「イノセンス」で、バトーが、やくざの事務所になぐりこんで皆殺しにしておいて、「てめーらの中途半端な電脳をうらみな」なんてむごい?ことをおっしゃいますが、これはそのまま押井さんの見解表明みたいに思えました。

    「攻殻……」や「イノセンス」みたいな作品を見せられると、われわれの脳は乗せられて、ああでもない、こうでもない……と考えを巡らしはじめるんですけれど……それは、「中途半端な電脳」に類することじゃない?と、押井さんのメッセージが聞こえてくるような……

    私の知り合いで、現代美術をやってる人がおるんですが、彼が、あるときおっしゃったお言葉……
    「人間、生きてるか、死んでるか、どっちかだ!」

    「攻殻……」も「イノセンス」も、複雑華麗な衣装をはぎとってゆくと……結局、最後に残る叫びは……
    「死にとうないー!」
    という、この一言なのかも知れません……

  • 顔のないトルーパー

    2007/05/30 by 未登録ユーザika

    パトレイバーもそうでしたが、攻殻機動隊も、制服組のお話ですね。

    9課の面々は、制服なんかふだんは着ませんが(テレビシリーズでは素子さんがちらっと着ていたが)、やっぱり本質は制服組のお話だと思います。
    そもそも「攻殻」という身体自体が、考えてみれば制服そのものなんじゃないでしょうか。
    素子さん、ボディそのものが政府のもんだってことですしね……

    つい最近、私の住んでいるところの隣町で、「拳銃たてこもり事件」がおきました。
    全国ニュースになったので、記憶に新しい方も多いと思います。
    50歳の、元ヤクザのおじさんが、別れた奥さんに復縁を迫って家族会議のときにブチ切れ、拳銃で息子と娘を撃ち、元奥さんを人質にして立てこもった……
    駆けつけた機動隊員が撃たれて重傷、それを助けようとした若い機動隊員はとうとう射殺されてしまった……

    この事件を聞いたとき、やっぱりこの「攻殻機動隊」と「イノセンス」のことを思い出しました。(ついでに「海猿」とかも……)

    今……というか、ちょっと前から、「社会秩序を守る側」のことがクローズアップされつつあるように感じます。
    昔……学園紛争のころは、既成秩序に反旗をひるがえす学生たちの心情に沿った心の動きの方が、社会的には認められていたように思います。
    反戦フォークとかなんとか……若者の抵抗というのに同情的な風潮は、たしかにありました。

    そのころ……学生のデモにフル装備で出動していた機動隊員たち……
    彼らも同じ若者だったのに……彼らは、どこまでも「顔のないトルーパーたち」としてしか扱われていなかった。

    これは……彼ら、機動隊員たちとしては、とても悔しかったんじゃないでしょうか。
    当時の機動隊員たちが、どのような経歴で採用されていたのかは知りませんが……
    同じ年頃(であろう)学生たちが、親のスネをかじりながら街中を暴れまわっている……(少なくとも、彼らにはそう見える)
    しかし、自分たちは、「顔のないトルーパー」として、学生たちを鎮めなくてはならない。
    彼らは国家権力の側にいますから、こぜりあいになって暴力が発生しますと、世間の目はどうしても学生たちに同情的になってしまうでしょう。
    当時、若い機動隊員たちがどんな思いで出動していたか……それは、ほとんど語られることがないのでわかりませんが、胸中いかばかりかと……

    でも、いつの頃からか、流れは変わりました。
    おそらく、学生たちの運動が過激化して世間の支持を得られなくなった頃から?
    同様に、世の中の方も変化して……がっちり組み上げられた社会構成を、自分たちの手で変えられるなんて、夢物語……現実を見よう!オレの人生、一流企業に就職じゃ!幸せな結婚じゃ!ファミリー大事じゃ!!……ということになって、学生の反抗気分の方も急速に萎え衰えてしまいました。

    押井さんの一連の作品を見てみますと……このあたりのことは、かなり意識して作っているように感じます。
    自分が、今、着ている制服……その制服にこめた、わけのわからないくらいに屈折されまくった思い……
    それは、この作品でも、素子さんの「身体」として象徴的に反映されて……作品の内部でも屈折を繰り返し、孤独な、声にならない悲鳴をあげ続けるのでしょう。

    社会風潮の変遷から見ますと、一見「体制側の勝利」に見えますが、ことは、そう簡単な問題じゃないと思います。
    あさま山荘事件を映画化した作品もありましたが……ああいうふうに体制側の方が大声を上げて勝利宣言できるような状況では、すくなくともありませんね(あの映画は、役所さんの汚点になったと私は思っています)。

    そして……この「攻殻機動隊」ですが……この作品は、そういう点ではまことに微妙な位置付けになっていると思います。
    今はもう、この作品が作られたころに比べますと、社会全体はさらにさらに体制側に傾いていて、もうそのことさえ意識されない状況になっていますから……そういう点から見ますと、今、この作品を見る……ということは、それ自体において、なにか見る側に押し殺した声でささやきかけられるものがあるように感じるのです。

    それが……「顔のないトルーパー」として扱われていた人々の……その沈められた思いなんだと……そういうふうに言ってしまえばそれはそれでわかりやすくなるのかもしれませんが……やっぱり微妙に違うように思います。
    言葉に出したとたんに違うものになってしまう屈折した「思い」を……かそけき声として、12年前の時の淵から届けてくれる作品……として、この「攻殻機動隊」を今見てみると、またそれなりの意味もあるように感じます。

  • Re: 疎外アニメ ネタバレ

    2007/05/31 by 未登録ユーザ素子様命

    駄文をお褒めいただいて、ありがとうございます。
    あれはこのサイトにもあまり慣れていない頃の、
    抑制の効いてない勢いで書いている文章でして、
    掘り返されるとチト恥ずかしい気もします。

    ネットの海に消える素子に関しては、
    押井さんの解釈は
    「原作の意味するところを分かっていないのか、
    はたまた、人工知能的なものの進化に
    拒否反応が強いのか?」という気がします。

    まぁほぼ後者であり、
    彼自身はサイボーグも機械生命も
    好きではないのでしょう。
    押井世界では、それらの示す未来に
    明るいものを感じることはできず、
    機械世界の進歩は「個の拡散」に繋がり、
    ヒトでなくなってしまうかのように描かれています。
    そしてそれ故、生身やアナログに対する
    懐古的な雰囲気を色濃く感じ取ることができます。
    人形に個が宿ることはまったく望んでおらず、
    個がないからこそ美しいのだと
    実際感じておられるクチでしょう。
    (原作は機械生命・ソフト生命が
    人間すなわち有機生命のあり様にどんどん擦り寄って
    近くなっていく過程が描かれていて、
    機械がヒト化する話なんですけどね。
    そう、「人形遣い」は
    いずれ死す生体=人脳を得るために素子と融合する。
    それは人形遣いが確固たる個を得る話であって、
    素子の個がネットに拡散してしまって
    素子という個が薄くなる話ではないのですが。)

    過剰に人間的になって
    個性を獲得していくタチコマを描く
    TVシリーズの方が、
    原作者の示す未来感を理解していると思いますね。
    (ただ、SAC 2nd の久世の最後は
    押井映画版第一弾の素子的で、
    個をネットの海に拡散させてしまっていて、
    あれま、この押井思想をどうしてもやってしまうかい、
    と思いましたが。)

    押井さん現在、熱海の風光明媚なところで、
    大好きなバセットハウンドと奥さん娘さんと
    ゆったりした時間の流れる生活をなさっていて、
    そこに幸せを見出しているという、
    いかにも団塊的な生き方に
    落ち着いておられるようです。
    そういう、もう進歩も発展もいらんという
    個人的な感慨が
    彼のかかわった攻殻機動隊には
    色濃く反映されていると思います。
    (そこには、若い頃の学生運動騒ぎへの
    屈折した思いももちろんあるでしょう。)

    作品の完成度はすばらしいと思いますが、
    しかし内向き・後ろ向き過ぎるその思想については、
    自分のお城世界=個を守ろうとするあまり
    外界との接触を絶つヒッキーな方向に行っていて、
    ゆえに思想の殻みたいなところは結局
    「自我のなんたるか」とか
    「私ってなに」みたいな、
    「関心が自分にしか向いていない、若き日の悩み」
    っぽい青臭いもんかい?という感じで、
    どうにも好きにはなれないですね。(^▽^笑)

  • Re: 疎外アニメ

    2007/05/31 by 未登録ユーザika

    素子様命さん、レスありがとうございます。

    拙文中、勝手にお名前を出してしまってごめんなさい。

    アニメ版と原作マンガ版の双方に詳しい方は稀なので、ご意見、なんか底力というか、ちょっとピラミッドのような?迫力を感じます。

    ところで、私は、素子様命さんとはおそらく逆の順になると思います。
    押井版>テレビ版>原作まんが
    と、こういう順番になると思います。

    私にとっては、押井さんの感じが、なんかぴったりとくるんですね。
    このスレッドの頭にも書きましたように、興味、関心の方向が近いものですから。
    (あ、でも、私自身はじめじめひきこもりじゃありませんよ。むしろ、お調子者のあわてもので、軽はずみな言動で失敗ばかりしております。明るくはないですが……)

    原作まんがが、「個」を求めていく方向であるとのご指摘、大変に興味深いです。
    でも、押井さんが「個の拡散」といわれると、なんとなく違和感があります。
    むしろ、「自分のことしか考えてない」というのが彼のスタンスのような気がしますので……
    素子さんがネットに拡散しても、しなくても、そこのところは、彼にはほとんど興味なかったんじゃないかな……
    興味・関心は、もっと別のところにあるような気がいたします。

    ところで、テレビ版には、バトーがタチコマに自然オイルでしたか、有機オイルでしたか、与える場面がありますね。
    「機械の人化」といわれると、そのとおりなんですが……あんなところまで自然派嗜好……
    イノセンスでも、イヌの餌にこだわっていたし……
    いろんなバージョンで、比較的安定したキャラなのでしょうか?

    テレビ版の2は、私にはちょっとついていけませんでした。
    なんせ1速脳なので……展開が早いおはなしは苦手です。

    士朗さんのマンガは、「攻殻」1,2と、アップルシードと、もう一つ、タイトルは忘れましたが、なんかスサノオでしたかが登場して、仙術でしたか、すごくはじけたものを読んだ記憶があります。
    あれは一体なんだったのでしょう……
    主人公の女の子が絨毯になっちゃう……という、不思議な作品でしたね。

    なんか、とりとめのない話になってすみません……

  • Re: 疎外アニメ

    2007/06/02 by 未登録ユーザ素子様

    私が押井さんに抱く感慨を一言で表すとすると
    「閉塞」になるかな。
    現在の社会の在り様から
    「疎外」され続けた結果の「閉塞」。
    表現の仕方はかなり異なるものの、
    同じような閉塞感を黒澤清監督作品に感じています。

    素子さんがどうなろうと、
    実は関心はそこにはないのではないか
    というご指摘は、
    あぁきっとそうだな、と思っています。
    基本的に彼にとって原作は単なる「素材」であって、
    なんかあんまり愛とかリスペクトとかを
    感じないんだよなぁというのが正直なところ。
    (うる星やつら映画版にもそういう感じを受けます。
    原作に対する愛のなさがにじみ出てしまうところが、
    彼が、各作品の原作ファンから
    ウケが悪くなる理由かと。
    これももうどっかのスレッドで
    一度書いたことのような気もしますが。)

    押井さん、光瀬龍ファンで
    「百億の昼と千億の夜」を
    映画化したいと思っていたそうです。
    私もこの小説は大好きでして、
    あの無常観が支配する茫漠とした世界観は、
    押井さん独特の思想とも相当相性が良さそうですね。
    原作ファンも違和感を感じないものが
    できそうな気がします。(金さえあればですが...)
    主要登場人物は、阿修羅にシッタルダ(仏陀)に
    プラトンにユダにキリストと、
    哲学し放題の題材ですし。
    (しかし、2時間じゃカタつきそうにないなぁ。)

    あっ、少々調べてみたのですが、
    押井さん、学生運動には
    しっかり参加した学生さんらしいですね。
    そういう活動を制圧する体制側に関する考察には、
    かなり屈折したものがあるでしょうね。

  • 老いれば寒山拾得のごとく……

    2007/06/03 by 未登録ユーザika

    おお!「百億の昼と千億の夜」!ですか……
    あの、エントロピー無限増大SF小説!
    あれは、生物学者としての光瀬さんの世界観・宇宙観が濃厚に現われちゃってますね……
    と同時に、典型的な「日本人的心情」を述べ綴った……いわば、「方丈記」続編といってもよい??物語ですね。
    方丈記の作者の鴨長明さんがインフルエンザにかかってタミフルをがぶ飲みすると……ああいうお話しになる?のかもしれません。
    「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる……」(これは芭蕉でした。失礼)

    私、実は、あのお話し(「百億の……」)を、ものすごい期待感をもって読み始めたのです。
    しかし……途中から、なにか、自分の中のいろいろなものが砂粒になってさらさらさらさらと流れだしていきそうな感覚に襲われまして……
    やや!これはまずいぞ!ということで、ちょっと保留にいたしました。
    あの、無限に崩壊していく世界観に冒されてしまったのかもしれません。

    むろん、最後まで読むには読みましたが、やっぱりちょっと保留ということに……
    私としては、それより少し前にSFマガジンに連載されていた、小松左京さんの「果てしなき流れの果てに」の方が好みなんです。
    なぜか……といわれても困るのですが……
    光瀬さんの「百億の……」は、どこか、壊れやすいガラス細工のような印象があって、「フラジャイル」(壊れもの注意)って感じですね。

    阿修羅……感じやすく、傷つきやすい思春期の中性の神……
    その魂が、いったん傷つけられると、その叫びの波動が全宇宙に響き渡り、宇宙全体が繊細なガラス細工のように粉々に砕け散る……
    ムンクの「叫び」のように……?
    そんな感じです。

    押井さん、 「百億の……」の映画化に意欲を持っておられたということは、はじめて聞きました。
    これって、実現すると、すごいことになるんじゃないでしょうか?(ならないかもしれませんが)
    でも……もしかすると、相性がよすぎて、完全自家中毒の世界になっちゃうかもしれませんね。
    もう、だれも入っていけない作品になってしまって……
    うーん……
    想像するのもおそろしいです。

    閉塞……
    すべての門を閉じて、城を守る……
    そうすると、自我は崩壊すると思います。
    自我は、開かれた他者との交感の中にあって、はじめて自我として確立されていくのでしょう。

    一例?ですが……
    徳川家康の鎖国は、日本全体を外圧から守ることにより……その間に、国内生産基盤を確立して、生産性を高め、国としてのベースの部分をきちんと造りあげました。
    それにより……明治維新後の、日本の急速な発展があったと思います。
    もし、戦国末期に、対外膨張派の信長や秀吉が最終的覇者となっていれば……
    国内生産基盤を確立せぬままに外国に出ていった日本は、逆に攻めこまれて分割され、植民地化したかもしれません。

    同じようなことが、作家にもいえるのでは……という気もします。
    作家って、結局1枚じゃない。2枚も3枚もあるんですよね。
    だから……みかけはひきこもりの閉塞に見えても、実はなかなかどうしてどうして……
    そういうしたたかさ、絶対に持っておられると思いますよ。彼は。
    まあ、人のことだから、わかりませんが……

    たしかに、おっしゃるように、原作に対するリスペクトみたいなものは余り感じられませんね。
    原作がお好きな方にとっては、許せないところかもしれません。
    私も、自分が好きな原作を、好き放題にやられたら、きっと怒ると思います。
    原作者のシローさんは、どう思ってらっしゃるのだろう?
    映画やアニメの世界というのは、そこのところに大きな問題を抱えておりますね。

    昔、翻案小説(というのかな?)なるジャンルがあって、厳窟王なんかの外国の小説を、登場人物なんか、全部日本名に変えて、日本人になじみやすいように造りかえてしまう……という例がありました。
    以前、ラジオでその朗読を聞いたことがありますが……実におかしなものでした。
    さすがに、今は、こういうことはやらんようです。小説の世界では。
    ところが、それが……映画やアニメの世界では、堂々と行われております。
    この現象は……映画やアニメが、ジャンルとしては過渡期だからふつうに行われているのか……
    それとも、映画やアニメにおいては本質的にそれがあり得るのであって、これからも続くのか……
    興味深いところではありますね。

    いずれにせよ……これは、制作側の一種の創作倫理観の問題なのかもしれません。
    今は、けっこう自由で、まあ悪い言葉を使えば「やり放題」というところもあります。
    数十年たてば、「昔は、よくあんな暴力的なことが許されてたもんだね」なんてことになるかもしれません。
    あるいは逆に、「昔は、原作のアニメ化で原作者がかみついたなんてことがあったそうだ。信じられないね」となるかもしれない……
    長生きして、どっちに転ぶか確認できると楽しい……のかな?。

    ちなみに、私の中での押井さんのイメージは、寒山・拾得です。
    なぜか、 寒山・拾得は、誰が描いても妖怪のようになる……
    底知れぬ悟りの姿……しかし、表面上はとてもそうは思えません。
    あ、ちなみに、これは押井さんへの誹謗中傷でもなければリスペクトでもありません。
    どういうわけか、私の中では、彼のイメージが、そこに来るのです……
    学生のころは、学生のごとく……そして、今は仙境にあり……なんて。

    そのうち、鴨長明や芭蕉ともかぶってくるかもしれません……

  • 「花嫁」 ネタバレ

    2007/06/08 by 未登録ユーザika

    制服にかんして、もう少し書いてみます。

    マルセル・デュシャンの「彼女をめぐる独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」という、奇妙なタイトルの作品。
    (ちなみに英文原題は、The Bride Stripped Bare by her Bachelors, Evenです)
    この作品は、通称「大ガラス」(おおがらす……と読むようです)という名で知られている、現代美術の古典中の古典になっているデュシャンの代表作ですが……
    タイトルも奇妙なら、作品自体も実に不思議なものです。

    高さ2m以上?もあろうかという板ガラス上に作られた作品。
    全体は金属枠に嵌められた長方形で、中央に水平に金属枠が通り、それにより上下2段に分割されています。
    (言葉での説明はまだるっこしいですが……「デュシャン、大ガラス」で検索すれば、画像は見つかると思います)

    通常、上の部分は「花嫁のパート」、下の部分は「独身者のパート」と呼ばれておりまして、それぞれに不思議な形象が金属線や絵の具や塵!によって造形されております。
    ……といいますと、いかにも実物を見たかのような口ぶりですが、実は、実物はフィラデルフィアにあるので、見ておりません。ガラスにヒビが入っていて(またそのヒビが美しい!)、あの状態では、何十億の保険をかけても運送してやろうという運送屋さんはいないでしょうから、日本に来ることはないでしょう。(でも、正確なレプリカが東京芸大にあるとききます)

    さて……この下のパートの独身者たちなのですが、人数は9人おりまして、それぞれが、制服を着て働く人……という設定です。詳しくは忘れましたが、警官や坊さんや……といった方々であったと思います。
    この9人、とても人には見えない不思議な造形になっているんですが……それぞれの方の頭から、なにやら細い線が出ている……これは、制服の独身者たちから出るガス!を集める管でして、これが、1箇所に集中されるとそこには7つの連なる漏斗がある……

    独身者たちから集められたガスは、この漏斗を通るうちに冷却されて液体になり、最後の漏斗の先端から画面右下に射出!されます。射出された液体は、再び気化して上昇し、「眼科医の証人」と呼ばれる部分を通過して作品全体を2分する水平のバーを越え、上部の花嫁のパートに「9つの銃弾」となって打ちこまれます。

    花嫁のパートには、上空に「銀河」と呼ばれる不思議な雲状のものがかかり、3つのゆらめく正方形状の「換気口」が開けられています……そして、その左下に「花嫁」の姿が……
    さて、この「花嫁」なんですが、これがまた実に奇妙で、なにかの機械の一部のようにも見えれば、変に生々しいみずみずしさも感じさせる……この花嫁の形象は、デュシャンが、有名な「階段を下りる裸婦」の連作の変形として獲得したもののようですが……彼によると、この花嫁は、「内燃機関」、つまりエンジンによって稼動されるのだそうです。

    ……と、長々と「大ガラス」の説明をしてきましたが……ここに、なんとなく「攻殻機動隊」9課の構成がだぶってくる感じを覚えるのは、私だけでしょうか?(おまえだけじゃ!という声も聞こえそうですが……)

    ここのレビューでしたか議論版でしたか、いろんな方が、素子さんが女性である必然性を論議されておられましたが……私は、素子さんは、本質的に女性でなくてはならなかったんじゃないか……と思うのです。

    素子さんは、制服こそほとんど着ないけれど……「制服の人」として、最初は独身者の側にいたと思うのですよね。要するに、大ガラスの下の独身者のパートの住人として……
    でも、本来彼女は、独身者に囲まれた「花嫁」として、大ガラスでいうなら上のパートにいるべき存在です。……その身体のほとんどが機械化された「機械の花嫁」として……(デュシャンの「花嫁」は内燃機関で稼動される!)

    要するに、この物語は……本来は、やっぱり「彼女をめぐる独身者」のお話なんだと思います。
    ですから……「イノセンス」において、素子さんは「ネットの住人」として天上世界に拡散してしまい、地上には「彼女をめぐる独身者」のヤローどものみが残された……その中でも最大のヤローであるバトーが、いろいろあった末に、今は天上世界の女神となった素子さんとのコンタクトを果たす……という、そういうお話であると思うのです。

    ですから……能でいうなら、アニメ「攻殻機動隊」の素子さんは前シテ、「イノセンス」の素子さんは後シテ、バトーはワキ……という図式になるのではないでしょうか。
    つまりは……本質的には異世界の「花嫁」である素子さんが、前シテが地上の存在に身をやつして出現するごとく9課に現れ、前半の最後でついにその正体を現し、後半では異世界の後シテとして、この世界の上に、雲のように漂い、舞いを舞う……という構図になっているんじゃないか……と考えます。

    ここからすると……アニメの「3」は、できないですね……

  • 訂正です

    2007/06/11 by 未登録ユーザika

    上の書きこみで、デュシャンの「大ガラス」の正確なレプリカが東京芸大にある……と書きましたが……

    正しくは、東京大学教養部美術博物館にある……でした。お詫びし、訂正いたします。
    (うろ覚えで確認せずに書きこんではいけませんね。反省……です)

    なお、「大がラス」の本物があるのは、フィラデルフィア美術館でして、ここには、デュシャンの遺作となった、これまた問題作の「1.落ちる水。2.照明用ガス。が与えられたとせよ」があるとききます。一度いってみたいところです。

    また、「大がラス」のレプリカは、世界に3つ存在していて、ストックホルムバージョン(1961年製作)、ロンドンバージョン(1966年製作)、東京バージョン(1980年製作)となっています。なお、オリジナルが作られたのは、1915から1923年にかけてということです。

    東京バージョンは、東京大学と多摩美術大学の共同制作だそうでして、シュルレアリスム詩人の瀧口修造さんと評論家の東野芳明さんの監修によるものであるとか。(このお二人は、日本におけるデュシャン研究の権威。)なお、トリビアですが……ストックホルムバージョンは、ガラスの枠体が木製なんですって。北欧らしいですねえ。これも一度見てみたい……

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